シリコンバレー人材の活用(その2:報酬制度)
- Yas Kohaya
- Jan 1, 2022
- 6 min read
(注:私は人事制度の専門家ではありません。このブログはあくまでも現場での考察と私の経験にもとづいて考えをまとめたものです)
先回のブログでは優秀な人材を集めるための採用について語ったが、今回は採用した人材にモチベーション高く長く働いてもらうためのインセンティブ、特に報酬についてまとめたいと思う。
魅力的な仕事を提供する上でオフィス環境や役職・職務も大切だが、充実した報酬制度も欠かせない。単なる給与ではなくて、成果を出した時、あるいは組織として大きな目標を達成したときの「アップサイド」、つまり成果に応じた報酬をどう提供できるかだ。
スタートアップであればストックオプションを供与することで会社の目標と従業員の目標とのベクトルを合わせモチベーションを維持することができる。特に創業間際のアーリーステージ企業の場合、手元資金が少なくても優秀な人材を集める有力な武器となる。しかし日本企業の場合、一部を除いてストックオプションを報酬制度の一環として提供できる会社いないだろう。仮に提供できたとしても成長株でなければ採用活動にプラスとはなり得ない。スピンオフ企業を設立して独自の人事制度を構築するのなら別の話だが、そうでもない限りはIT企業と同水準の給与や福利厚生を提供するしかない。それでも日本企業にとってはかなりの人件費になる訳だが。
しかし、人材争奪戦を勝ち抜くためには高水準の給与や福利厚生は必要最低限でしかなく、やはり成果連動型報酬をインセンティブパッケージの一部として組み合わせなければ優秀な人材のモチベーションを維持し長く働き続けてもらうことは難しい。問題は、個人のモチベーションを高めることと組織として目標達成を両立し、公平且つ実のある成果につながるインセンティブをいかに設計できるかだ。特にR&D組織となると何をもって成果とするか、つまり報酬のベースとなるKPIの設定が重要となってくる。
TRIの場合、人事制度は本社と完全に切り離し、報酬も独自の制度を構築した。集中して成果をだしてもらえるようにオフィスデザインや福利厚生を含めシリコンバレーのITジャイアント並みの魅力的な職場環境を整備することにもお金と力を入れた。設立当初はストックオプションに似たような成果連動型報酬も模索したが、トヨタの子会社である以上は限度があり、結局は長く働いてもらうことに重点を置き、給与の一部を勤続年数に応じて後払いする形にした。もちろんシリコンバレーでの転職事情は考慮し支払い期間に上限は設けた(つまり、◯年働けば入社時に約束された報酬が全て受け取れる、という仕組み)。
これで「長く働いてもらう」インセンティブは設計できたのだが、より難しいのが「モチベーションを維持し継続的に成果を出してもらう」方策だった。給与が保証されると高水準であってもだんだんと居心地がよくなってきていずれぬるま湯に浸かったようになってしまう。それが必ずしもモチベーション低下になる訳では無いが、やはりストレッチゴールを達成するために従業員を鼓舞する武器としてはどうしても弱い。
TRIでは自動運転やロボティクス、基礎AI研究など様々なテーマに取り組んでいるため、スタートアップのように一つのゴールに向けて全社員のベクトルを合わせることは難しい。また、単に「R&D」と言っても自動車に搭載する技術はどちらかというと「D=開発」寄りなのに対して、基礎AI研究は基本的に「R=リサーチ」であるので、それぞれで業務内容や必要スキル、そして最終ゴールも異なり、そのために統一した成果連動型インセンティブ制度を設計するのは簡単ではない。例えば自動運転開発で何を成果とするかは本社がそのアウトプットを受け入れるか次第で決まってしまう。「世界を変えたい」という高い視座で最先端の技術開発に取組んでも本社にハンドオーバーすることだけがエンドゴールでは納得いかないし、更に開発した技術が消費者の手に届くかが本社の方針次第で決まってしまうとするならやるせない気持ちになるだろう。一方で「R=研究」の場合は著名学会で論文を出すことが成果の一つとなるので報酬制度の基準としてはわかりやすいが、それが本社の思惑に一致しているかというと必ずしもそうではない。なぜなら本社からすると技術的な成果は本社の各機能に還元して欲しい訳だから、論文を書いたところでメリットは得づらいからだ。
これはひょっとしてR&D会社特有の課題かもしれないが、シリコンバレーに所在する多くの日本企業は事業P/Lを担っていない組織が多いので、「現地人材に如何に魅力的なインセンティブを提供するか」という観点では似たり寄ったりの状況ではないかと思う。仮にモチベーションアップにつながる報酬を設計できたとしても、それが会社として売上アップなどに直結しない限りは単なる人件費の増加につながりかねないので本社の理解を得るのも難しいだろう。逆に本社の立場からすると「高い給与を与えているのだから期待以上の成果を出して当たり前だ」と思うのは真っ当だし、優秀な人材ほど自分自身でモチベーションを維持できるはずという視点は間違いではない。しかし人間はやはり我儘なもので、「アメとムチ」がなければ高いアウトプットを継続的に出し続けるのは無理である。それには明確なKPIと、それに応じた公平且つ透明性のある成果連動型報酬で人を動かすのがシリコンバレースタンダードなのである。
また、優秀な人材ほど常に競合他社からヘッドハンティングを受けており、他社がどのようなインセンティブを提供しているかは容易に比較できてしまう。特に最近はGlassdoorのようなクチコミサイトで職場環境を赤裸々に暴露するサイトも人気なので、報酬に対して社員から文句がないからと言って安堵もしていられない。社員の満足度はある意味競争相手の動向で決まってしまうものなのだ。
誤解ないように言うと、TRIではどこの優良企業でも通用するような素晴らしい一流技術者が集まっている。彼ら彼女らはTRIの壮大なビジョンに共感しているからこそモチベーション高く働いているのであり、金儲けばかりに奔走するIT企業と一線を画していることも優秀な人材を惹きつける重要なポイントとなっていることは間違いない。
だがTRIの当初のゴールに対して報酬制度がうまく機能しているかの結論を出すのは難しい。チャレンジングなゴールなほど成果を出すのに時間はかかるし、お金で人を動かすよりもじっくりと取り組む環境を提供することも大事で、結果として「長く働いてもらう」ことに重点を置くのは間違いではなかったと思う。しかしスタートアップのように貪欲になり世の中を驚かせる技術をどんどん発信してトヨタ本体を変えているかというと時期尚早と言わざるを得ない。
因みに私のTRIのビジョンは、世界をあっと驚かせる技術やサービスをスピンアウトして社員がどんどん起業するインキュベーション機能のようなものであった。現地の優秀人材がトヨタから潤沢な技術や資金の支援を受けながらアイデアを育て、自立できる段階まで到達すればスタートアップ企業としてスピンアウトする。そのスピンアウト企業に卒業していったTRI社員にはもちろんストックオプション制度を儲けて、トヨタ本社もインベスターとして経営に参画する。その企業が成功すればトヨタからしてみれば戦略的にもフィナンシャル的にもリターンが出るし、現地人材にとっても「アップサイド」を享受できる魅力的な報酬制度になると私は確信していた。このアイデアはギル・プラットも理解は示していたが結果的には実現しなかった。とても残念である。
次回のブログでは現地人材を活用する上での本社との適切な距離感や権限、そして離職に対する考え方について解説したいと思う。
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